人物
ジャン2世・ル・メングル(ブシコー)
フランス元帥
生没: 1366–1421
前回の敗北から学んだ計画を持ちながら、その計画が成立する幅を戦場の選択に織り込めなかった元帥。
ニコポリス(1396年)で大敗を経験し捕虜にもなった歴戦の元帥。フランス側の戦闘計画——大半を下馬させ、騎兵で英軍射手の側面を突く——には彼の手が入っていたとされる。読みは妥当だったが、その計画は側面に回れる幅を前提にしており、狭隘地ではその前提が消えた。軍議では戦わない案も出ていたが通らず、彼は捕虜となって英国で死んだ。
流儀:経験がある側の慎重論
ブシコーはニコポリス(1396年)で大敗を経験し、捕虜にもなった歴戦の元帥である。フランス側の戦闘計画——大半を下馬させ、騎兵は英軍の射手の側面を突く——には彼の手が入っていたとされる12。
会戦前の軍議では、消耗しきった英軍を追尾して戦わずに追い詰める案も出ていた。だが狭隘地での正面攻撃が選ばれる。経験に基づく慎重論が、名誉と序列の前で通らない——本サイトが繰り返し出会う形が、ここでも起きている。彼は捕虜となり、英国で死んだ。
繰り返し現れる型
前回の教訓を持ち込む
クレシー・ポワティエ・ニコポリスの経験から、騎乗突撃をやめて下馬させる計画を立てた。読みは妥当だった。
計画は場所に依存する
射手の側面を騎兵で突く計画は、側面に回れる幅があってはじめて成立する。狭隘地ではその前提が消える。
合議では通らない
経験と職責はあっても、大諸侯の合議のなかで慎重論は重みを持たない。
強みと限界
敗北の経験から学び、相手の強みを消す計画を立てられる。
その計画が成立する条件(幅・地面・統制)を、戦場の選択そのものに織り込めなかった。
アジンコートとの接点
クトゥーゾフ、カンナエのパウルス、グラビナ、スターリングラードのパウルス——そして彼。正しい慎重さが構造に負ける形は、本サイトで5回目になる。
ジャン2世・ル・メングル、通称ブシコー。19世紀『新ラルース図解事典』の挿絵で、同時代の肖像ではない。Public Domain, via Wikimedia Commons
登場する事例