戦略・戦術ラボ Strategy & Tactics
ペトレ・ドゥミトレスクの肖像写真

人物

ペトレ・ドゥミトレスク

ルーマニア第3軍司令官(北側面)

生没: 1882–1950

継ぎ目を守らされ、弱点を正確に報告し、それでも増強を得られなかった指揮官。

ドン川沿いの北側面を担当したルーマニア軍の将軍。対戦車兵器の不足と戦線の長さを繰り返し報告し、増強を求めたが要求は通らなかった。「側面は同盟軍で足りる」という前提はドイツ側の希望であって、現地の報告ではなかった。11月19日、ソ連軍の主攻はまさにこの正面へ向かい、彼の軍は数日で崩れる。崩れる前に崩れると言っていた人物がいた、という事実は残る。

流儀:継ぎ目を守らされた側

ルーマニア第3軍を率いたドゥミトレスクは、ドン川沿いの北側面を担当した。彼は対戦車兵器の不足と戦線の長さを繰り返し報告し、増強を求めている。要求は通らなかった。側面は同盟軍で足りるという前提は、ドイツ側の希望であって、現地の報告ではなかった。24

11月19日、ソ連軍の主攻はまさにこの正面へ向かった。彼の軍は数日で崩れる。だが崩れる前に、崩れることを言っていた人物がいたという事実は残る。

繰り返し現れる型

01

不足を正確に報告する

対戦車兵器の欠如と戦線の長さを具体的に上げた。読み自体は当たっていた。

02

同盟の中では要求が通らない

主導する側の資源配分は、まず主導する側の部隊に向かう。同盟軍の要求は後回しになる。

03

負けたあと責任だけが残る

崩壊の説明として「同盟国軍が弱かった」が使われ、なぜ弱いまま置かれたかは問われない。

強みと限界

強み

自軍の弱点を過小に言わず、上位に伝えた。

限界

同盟の資源配分において、その声は配分を動かすだけの重みを持たなかった。

スターリングラードとの接点

包囲は都市ではなく、彼の正面から始まった。継ぎ目は、そこを守らされている側から見れば、ずっと前から見えている。

ペトレ・ドゥミトレスク。1944年、ポーランド国立デジタル文書館蔵。Public Domain, via Wikimedia Commons

登場する事例