人物
リンドン・B・ジョンソン
アメリカ合衆国大統領
生没: 1908–1973
この事例の判定を出し、同時に自分も判定されていた大統領。
国内で「偉大な社会」を進めながら国外でベトナムを戦い、どちらからも降りられなかった大統領。テト攻勢のあと20万人規模の増派要求を突きつけられ、受ければ「勝っている」という説明が崩れ、断れば軍の要求を拒むことになる位置に立った。1968年3月31日、北爆の縮小を発表し、その最後に再選を求めないと述べた。この事例の判定を出した人物であり、同時に有権者に判定されていた人物でもある。
流儀:二つの戦線を同時に持つ
ジョンソンは国内で「偉大な社会」を進めながら、国外でベトナムを戦っていた。どちらも降りられなかった。戦争を拡大すれば国内改革の予算と支持が削られ、撤退すれば「共産主義に負けた大統領」になる。
テト攻勢のあと、彼は 206,000 人の増派要求を突きつけられた。受ければ、勝っているという説明が崩れる。断れば、軍の要求を拒んだことになる。3月31日、彼は北爆の縮小を発表し、その最後に再選を求めないと述べた。
繰り返し現れる型
二つの目的を同時に追う
国内改革と対外戦争を両立させようとした。片方の失敗が、もう片方の資源を直接削る構造だった。
説明の一貫性に縛られる
「勝っている」と説明してきたぶん、増派要求と両立させられなかった。過去の説明は将来の選択肢を減らす。
判定者であると同時に判定される
彼は作戦の判定者でありながら、自分もまた有権者に判定されていた。判定の連鎖は一段では終わらない。
強みと弱み
国内政治の駆け引きに極めて強い。
その強さは、相手が国内にいるときにだけ効く。戦争の相手は投票しない。
最終的に自分が降りるという選択ができた。
その時点で、戦争の終わり方を決める立場は自分の手から離れている。
テト攻勢との接点
この事例の勝敗を決めたのは、戦場にいた誰でもなく、13,000 km離れた場所にいたこの人と、その背後の有権者だった。攻勢を仕掛けた側は、その人を狙っていなかった。
リンドン・B・ジョンソン公式肖像、1964年、ホワイトハウス。Public Domain, via Wikimedia Commons
登場する事例