人物
ウィンストン・チャーチル
英国首相
生没: 1874–1965
負けている局面で、降りるという選択肢のほうを先に閉じた首相。
ドイツの攻勢が始まった1940年5月10日に首相となった。5月26日から28日、戦時内閣は3日間に9回開かれ、議題はイタリアを仲介に条件を探るかどうかだった。英国海外派遣軍が袋に入っていたこの時点で、降りるという選択肢は荒唐無稽ではない。彼がしたのはその選択肢を議論の外へ出すことであり、6月4日の演説では撤退を「勝利ではない」と自ら釘を刺したうえで、戦い続けると宣言した。
流儀:降りない、と先に決めてしまう
チャーチルが首相になったのは1940年5月10日、ドイツの攻勢が始まったその日である。そして5月26日から28日にかけて、戦時内閣は3日間に 9 回開かれた。議題は「イタリアを仲介にして条件を探るかどうか」だった3。
この時点で英国海外派遣軍は袋に入っており、何人助かるかは誰にも分からない。降りるという選択肢は、当時としてまったく荒唐無稽ではなかった。チャーチルがしたのは、その選択肢を議論の外に出すことである。彼は6月4日の演説で撤退を「勝利ではない」と釘を刺したうえで、同じ演説で戦い続けると宣言した5。
繰り返し現れる型
選択肢を先に閉じる
交渉の余地を残すと、そこへ向かって全部が流れる。閉じることで、残りの資源が別の使い方に回る。
悪い事実を先に認める
「撤退で戦争に勝てはしない」と自分から言った。先に認めた事実は、あとから相手の武器にならない。
物語を資源として扱う
彼は「奇跡」の語り方を作りにいった。物語は装備の一部である——ただし装備の代わりにはならない。
強みと弱み
早い段階で選択肢を一つに絞り、組織の迷いを止められる。
閉じた選択肢が本当に悪手だったかは、閉じたあとには検証できない。この型は正しさを事後に証明できない。
悪い事実を自分から出せる。
自分で出した事実の分だけ、あとで方針を変える余地が減る。
ダンケルクとの接点
この事例の決着は浜ではなくロンドンの一室で出ている。338,226 人を持ち帰る意味は、持ち帰ったあとも戦うと決めた側にしか無い。テト攻勢が「判定者は戦場にいない」を示したのに対し、ここでは決定者が戦場にいない。
ウィンストン・チャーチル、第二次世界大戦期、英政府撮影。Public Domain, via Wikimedia Commons
登場する事例