人物
ロベール・ニヴェル
フランス第2軍司令官(1916年5月以降)
生没: 1856–1924
削り合いを耐え切った側が、次に自分で削り合いを始めた例。
ヴェルダンでペタンの下にいて、1916年5月に方面の指揮を引き継いだ将軍。10月24日、彼の指揮下でドゥオモン砦が奪回される。この成功が1916年12月の総司令官就任につながり、翌1917年、彼は「48時間で突破する」計画をシュマン・デ・ダームに持ち込んだ。失敗し、その春にフランス軍の広い範囲で抗命が起きる。消耗の設計は仕掛けた側だけでなく、耐えた側にも移るという、本事例のいちばん重い証拠である。
流儀:削られた側が、同じ機械を作る
ニヴェルはヴェルダンでペタンの下にいて、1916年5月に方面の指揮を引き継いだ。10月24日、彼の指揮下でドゥオモン砦が奪回される。2月25日に約 100 人のドイツ兵に取られた砦を、取り返すのに 8 か月かかった。
この成功が、彼を1916年12月にフランス軍総司令官へ押し上げた。そして翌1917年の攻勢に彼が持ち込んだのが「48時間で突破する」という計画である。ヴェルダンで通用した——大量の砲を集中させ、短い正面を一気に押す——やり方を、シュマン・デ・ダームで大規模にやる。
失敗した。そして1917年春、フランス軍の広い範囲で抗命が起きる。ここが本事例のいちばん重い接点である。消耗の設計は、それを仕掛けた側だけでなく、耐えた側にも移る。耐え切った経験は「もう少し押せば抜ける」という読みを作りやすい。削り合いを生き延びた組織が、次に自分で削り合いを始める。
繰り返し現れる型
局所の成功を一般化する
ドゥオモン奪回で効いた方法を、規模も地形も違う場所へそのまま拡大した。成功事例は、条件ごとコピーされない。
期限を約束する
「48時間」と言い切ったことで計画は通り、同時に、外れたときの逃げ場が無くなった。
耐えた経験が次の消耗を呼ぶ
消耗を生き延びた組織は、消耗の有効性を過大評価する。これは組織の学習の失敗の典型である。
強みと弱み
砲兵と歩兵の連携を実際に組み立て、限定目標を取れる。
限定目標で成立した手順は、全面攻勢では前提が変わる。移植したのは手順で、条件ではなかった。
明快な約束で組織を動かせる。
約束が外れると、動いた分だけ反動が来る。1917年の抗命はその形をしている。
ヴェルダンとの接点
ヴェルダンの帰結は1916年12月18日で終わっていない。この人物を通って、1917年へ延びている。
ロベール・ニヴェル、1917年ごろ。Public Domain, via Wikimedia Commons
登場する事例